1.1945年までの戦争(第2次世界大戦まで)

 日本は1890年ころから、昭和20年まで、ほとんどの時期に戦争を続けていました。その事実を忘れてはいけないと思います。ここに、その概要を書こうと思います。

 

 

1−1 概略の年表

1894−95

日清戦争

目的:朝鮮を清国、ロシアにとられないように。結果:台湾と遼東半島を獲得。

1895

三国干渉

ロシア、ドイツ、フランスが日本の遼東半島領有に異議(干渉)。遼東半島を返還。

その後ロシア、ドイツが遼東半島に進出

1904

日露戦争 

目的:朝鮮をロシアにとられないように。遼東半島をとりもどす。旅順攻防戦、日本海海戦(ロシア主力海軍を壊滅) 結果:遼東半島、南樺太、南満州鉄道を獲得(鉄道の周辺警備のため軍隊派遣)

1910

朝鮮併合

(ロシアの脅威。緩衝地域とした。)

1914−19

第1次

世界大戦

主戦場は欧州。1918シベリア出兵。  ドイツ領だった南太平洋の諸島を獲得 

1929

世界恐慌

 

1932

満州事変

(柳条湖事件)

日本の関東軍が満鉄を爆破。

中国側の仕業と偽って満州への攻撃開始

1932.5

5・15事件

海軍将校たちが犬飼首相暗殺など

1933

満州国建国

日本の傀儡政権

1933.2

浙江省侵攻

北京へ侵攻。天皇は一度出した作戦命令の取り消しを希望したが、周囲が阻止。

1933.2末

国際連盟脱退

満州からの撤退を求められて拒否。(脱退は国内からの指示とはことなる松岡洋右の独走)

1936.2.

2・26事件

陸軍の青年将校たちが大臣暗殺、陸軍省、参謀本部占拠など。陸軍大臣は「自分の部下を自分の部下で撃つことはできない」と言って数日後まで討伐を開始しなかった。(陸軍幹部の意を受けて起きた事件だった)

1937.7

盧溝橋事件

支那事変)

北京郊外の盧溝橋で中国と交戦開始。(どちらが先に発砲したのか不明) 日本軍は以後中国各地に侵攻。宣戦布告なく、日本では戦争ではなく「事変」とした。

1941.12

真珠湾攻撃

宣戦布告直前に奇襲攻撃。対米国全面戦争を開始。同時にマレー半島も奇襲攻撃。

1942.6

ミッドウェー海戦で大敗

空母4隻など海軍力の半分を失った。軍の内部にも敗戦したことを秘密にした。

1943.2

ガダルカナル島で大敗

ニューギニア島より東の超遠方。日本の将兵万人が送られ、2万人以上戦死。

1944.6

インパール

大敗

ミャンマー・インド国境で無謀な作戦

将兵8万が死傷。「白骨街道」

1944.6

サイパン島陥落

 

1944.11以降

東京空襲

 

1945.8

広島、長崎に原爆

 

1945.8.15.

敗戦宣言

天皇の詔勅 ラジオで天皇の声を放送:「玉音放送」

 

1945年に我が国が大敗戦をした戦争を第2次世界大戦とか大東亜戦争と呼ぶことが多いのですが、実は上の表のように、1900年代の日露戦争から一続きの戦争だと筆者は考えます。第2次世界大戦はヨーロッパのナチス・ドイツの戦争も含めた名称ですし、大東亜戦争という言い方は戦争を肯定する思想を含んでいるとも思えます。そこでこのHPでは、 「1945年までの戦争」と呼ぶことにします。

 

 

1−2 日本と直接関係のある戦争の地図

 1941年にハワイとマレー半島を奇襲攻撃した直後の日本の勢力圏は下の図の点線で示すような広大なものでした。でも、これは、大きな兵器を持っていない中国にほとんど戦わずに攻め込んだり、それまで友好国だと思って対日の戦争準備をしていなかった地域や島に攻め込んで、やはりほとんど無抵抗で占領した結果です。真珠湾もマレー半島も奇襲攻撃で危うく勝ったのです。ほかの戦場でも日本軍はもっぱら奇襲攻撃や夜間攻撃、あるいは武器も持ってない現地の住民を脅迫、虐待するという卑怯な戦法をとっていました。日本古来の武士道など、かけらもありませんでした。日本軍が強かったわけではありません。いまだに軍を礼賛する一部のひとびとの言葉に迷わされないように。

太平洋戦争図

1−3 戦争の統計(数値)

死者数

「第2次世界大戦 死者数」で検索して出てくるURL

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E7%8A%A0%E7%89%B2%E8%80%85

に載っている数字を使います。

(単位:万人)   各国の人口は1939年1月時点

 人口

軍人死者

民間人死者

合計

死者割合

日本

7138

212

50 - 100

262 - 312

3.6 - 4.4

韓国+北朝鮮

2340

日本軍人に含む

37 - 48

37.8 - 48.3

1.6 - 2.0

中国

51757

300 - 400

700 -1600

1000-2000

2.0 - 4.0

フィリピン

1600

5.7

50 - 100

56 - 106

3.5 - 6.6

米国

13100

41

0.17

41.2

0.3

ドイツ

6985

430 - 550

150 - 350

700 - 900

10.0

イタリア

4439

30

(10 アフリカ)

15

45

1.0

ソ連(ロ)

16852

870 - 1385

1300-1800

2180-2800

16.6(13.5)

他のアジア

11955

5.76

122 - 127

128 - 183

1.0

他のヨーロッパ・インドなど

10700

*

*

1550-2065

1.5 - 2.0

合計

20

2200 - 3000

3800-5500

6000-8500

3.2 - 4.0

・若いみなさんがどのうなことを学校で習ったか、本や映画で知ったかが分からないので、筆者の感想を書きます。

・戦争で大被害を受けた、最後には原爆まで受けた、日本は世界の中で一番ひどい目に会った、という印象を持っていましたが、上の表を見るとそうではないことが分かります。

・日本の死者は軍人を入れて320万人と言われています。民間人だけで700万人から1600万人もの死者を出した中国とは比較にもならない数です。その中国の死者はほとんど全部、日本軍が殺した数です。

・広島・長崎の原爆による死者は、合計52万人の人口に対して、合計21万人です。また東京大空襲(1945.3.10)の死者は10万人です。日本の民間人死者数は50−100万人。このうち31万人が広島、長崎の原爆と東京大空襲によるものです。

・ソ連は2000万人以上(2660万人と言われています)もの死者を出しました。(この中にはノモンハンなどで日本が与えた被害もありますが、割合は小さいでしょう。)

・中国やソ連の死者数よりはるかに少ない320万人の死者で、日本はあれほどの悲劇だったのです。他国の悲劇の大きさを想像してみる必要があるでしょう。

・「戦争は絶対にだめだ」という理由、根拠は「日本があれほど大きな被害を受けたから」(繰り返してはいけない)ということではないのだと思います。他国にあれほど大きな被害を与えるような戦争を二度としてはいけない、ということなのだと思います。このちがいは大事な点です。

・すでに気づいておられるかもしれませんが、戦争の死者の割合は、知らないで思うほど大きな数字ではありません。人口に対して1%の死者が出るのは、十分に大きな戦争、大きな被害です。

・もしかして、1%くらいなら戦争してもいいだろう、などと思ったとしたら、それは大きな間違いです。これは大事な事実です。覚えておいてください。